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バイアグラの歴史~狭心症治療薬の開発から生まれた夢の薬~

バイアグラの歴史~狭心症治療薬の開発から生まれた夢の薬~

ファイザー米国本社の革新的研究

米・ファイザー社が世界初のED治療薬としてバイアグラを発売したのは1998年です。

ちょうど20年という節目を迎えましたが、性医学史ではバイアグラの出現以前と以降に分ける見方もあり、性医学とりわけ勃起学の発展に寄与したことはいうまでもありません。

独自開発のレガシーは今や知る人ぞ知る話。発売当初から受け入れられ、宣伝では、様々な性的キャッチコピーが行き交うなどバイアグラ現象なる社会現象が世界中を席巻したことも記憶に新しいところです。

また、この年のノーベル生理学医学賞は「循環器系における情報伝達物質としての一酸化窒素」に関する発見で、ロバート・F・ファーチゴット、ルイ・J・イグナロ、フェリド・ムラドの3氏に授与されました。

期せずしてバイアグラの誕生に直接とまではいかないまでも、開発に関係している研究が受賞しました。

その主成分シルデナフィルは勃起障害の原因とされるPDE5(ホスホジエステラーゼ5)という酵素を阻害する役割を果たしていますが、勃起促進の酵素とされるcGMP(環状グアノシン一リン酸)の濃度を競合的に高めるもので、cGMPの産生元となる成分が正に一酸化窒素です。

cGMPや一酸化窒素はいずれも神経伝達物質であり、勃起に関与することが研究で明らかとなりました。バイアグラの革新性を裏付けるものとなったのは間違いありません。

目次

  1. ファイザー社の研究開発力
  2. シルデナフィルから得た思いがけない成果
  3. 夢の薬「バイアグラ」の誕生
  4. 鋭く力強い勃起力を促進するバイアグラ
  5. 関連ページ

ファイザー社の研究開発力

ファイザー社とは

世界有数のアメリカの製薬会社で、世界売上げランキングでは上位の常連企業です。
2017年の売上高は5兆8,852億円で2位、因みに2016年は5兆7,050億円で1位でした。

取り扱っている医薬品は主要品目だけみても31種類を数え、例えば狭心症薬「ノルバスク」や高血圧薬「カルデナリン」、末梢神経疼痛治療薬「リリカ」などがあります。

現在のような巨大企業となったのは1990年代以降の積極的なM&Aの展開の賜物で、それまでは欧米の一製薬企業といった規模のものでした。

1849年、ニューヨーク市で創業し、第一次大戦の頃まではクエン酸を主要製品にしていました。
クエン酸は柑橘類を原料に製造し、薬のほか食品、飲料、洗剤、工業用途などに広く用いられていて、それを砂糖から生産できるシステムを開発しました。

クエン酸の量産化にこぎつけ、これが以降「奇跡の薬」と称される世界初の抗生物質・ペニシリンの量産に活かされます。

第二次大戦期にはペニシリンの企業として認知されるようになり、これをきっかけに戦後は自社開発に乗り出します。
その後、抗生物質「テラマイシン」で成功し、グローバル展開を突き進むことになりました。

1971年には研究開発部門をイギリス・サンドイッチ中央研究所に集約し、開発に傾注。同研究所発の薬が次々と市場に投入されていきますが、中でもバイアグラは大きな飛躍に貢献し、グローバル企業として不動の地位を確立しました。

現在では米ダウ工業平均株価の30種銘柄の指定企業にもなっています。

ED治療分野における研究

1983年、アメリカでED研究史上特筆すべき、犯罪性は全くない事件が発生しました。

ラスベガスで開催されたアメリカ泌尿器学会主催の医学会議でイギリスの神経生理学者ジャイルズ・ブリンドリ―氏がインポテンツ治療の注入可能薬の研究発表の直後、自分の陰茎に注入してその勃起効果を示すため書見台の前に進み出てズボンを下ろし、何百人もの出席者に勃起状態を披露したのです。

薬というのはフェノキシベンザミンで、尿道平滑筋に直接打つ注射薬のことです。

講堂の最前列にいた泌尿器科医たちに手で触らせ、人工ペニスではないことを確かめさせたというもので、それは正に講演会ではなく実演会でした。

この衝撃的な実演の十年後、アルプロスタジルを主成分とするカバージェクトやミューズが出現し、インポテンツ市場は拡大傾向となりました。
アルプロスタジルは痛みを伴う注射のため、容易に投与できる経口薬が求められるようになったことから開発も進んだといえます。

ファイザーはこうした背景からインポテンツ治療薬の開発に乗り出しました。

ちょうどこの頃は、三大疾患撲滅へ心疾患対策がトレンドでした。
ファイザーサンドイッチ中央研究所は狭心症薬パイプラインUK-92480としてシルデナフィルの臨床試験をおこない、これが狭心症薬ではなくED治療薬としてのバイアグラへと変貌します。

そしてバイアグラの出現により、ED治療分野の状況が一変しました。
インポテンツという言葉は死語となり、バイアグラは今や性医学のパラダイム転換を惹き起こすなど革新的な医薬品として医療界に受容されるに至っているのです。

シルデナフィルから得た思いがけない成果

狭心症治療への模索

ファイザーは豊富なパイプラインを背景に狭心症薬の開発に取り組み、1992年にCa拮抗薬ノルバスクを発売します。これは効果発現に7~8時間かかるという特徴のため、新薬のとしての開発が進められていました。

サンドイッチ中央研究所員だったサイモン・キャンベル氏とデビッド・ロバーツ氏が1989年~1994年の5年間、狭心症薬としてシルデナフィルの開発と臨床試験を実施した研究では、当の心臓への血流効果が認められず男性器への血流増加が認められるというものでした。

この時点ではまったく異なる部位への作用のため、男性器への作用は副作用という認識だったといいます。

狭心症は心筋に送られる酸素量が不足し、一時的な酸欠状態になることにより胸の痛みや息切れの症状を起こします。心臓が必要とする酸素量の需給バランスが崩れることで発症する病気です。

現在、狭心症薬は硝酸薬、Ca拮抗薬、β遮断薬、その他冠血管拡張薬などの種類がありますが、その他冠血管拡張薬の中にはPDE阻害薬トラピジルもあり、結果的にシルデナフィルは狭心症薬たりえなかったことになります。

とはいえシルデナフィルの効果発現だけを見ますと、0.8~0.9時間ですからノルバスクに比べ格段に速く、開発と試験に5年かけた意味はあります。

勃起促進という副作用からED治療薬へと転換されたからくりについては、『バイアグラ時代』(メイカ・ルー著、作品社)によると、バイアグラ認可前からマスコミの注目が集まり、偶然に発見されたというよく知られているレガシーは実際のところマスコミによって作られていき、それによってファイザーは臨床試験の方向転換をせざるを得ない状況となったとその実情を記しています。

狭心症薬としての成果が出なかったのでそのまま棚上げされるところを、周囲の後押しでシルデナフィルは世に出るようになったことになります。
つまりは、ED治療薬とは待望論に応えた形で生み出されたといえるのです。

勃起不全を改善する可能性

勃起不全の治療は洋の東西問わず古くから存在し、バイアグラ以前は効能の可否はどうあれスペインバエ、牡蠣、岩塩、溶解脂肪、サイの角などのインポテンツ治療薬が出回っていました。

20世紀の欧米では精神分析学者フロイトの問題提起以来勃起不全の原因は心因性が主張され、行動療法による治療が常套でした。
その一方で不感症という女性の問題があり、性障害についてはこの二つの流れが存在していました。

ところが、フェミニズム運動の世界的な隆盛で不感症という問題は消滅し、男性の勃起不全こそ問題とされるようになり、その改善へと大きく動きはじめます。

勃起不全の診断法、ペニスコープという陰茎を吸引して伸ばす器具、外科手術などが次々と開発されていきました。

私生活におけるセクシュアリティの重要性や性的欲求のはけ口を求める女性側の期待の高まりを背景に、経験的に簡便な薬物療法が重視されるようになります。

また勃起不全は心因性からくるものとされていたものが、これも経験的にその要因は器質性からくるもの、つまり肉体的な問題が大きいのではないかと見方も変わってきました。

治療が精神科領域から泌尿器科領域へとパラダイムシフトしていったのです。

こうした潮流を受け、ファイザーはED治療薬の研究開発へと突き進みます。
既存の研究を他所に狭心症薬パイプライン・シルデナフィルに勃起不全を改善する効能を見出し、1998年にED治療薬バイアグラとして上市することになるのです。

夢の薬「バイアグラ」の誕生

世界初のED治療薬の発売

勃起不全という診断区分はバイアグラ以前にも存在しましたが、「ED」、「勃起不全」という言葉はバイアグラが生み出したと言っても過言ではなく、ファイザーの宣伝戦略の中で確立していきました。

バイアグラは、科学的知見に基づいて開発されたED治療経口薬としては世界初です。
発売の翌年、ファイザーはノーベル賞受賞者ルイ・J・イグナロを招聘、イグナロはカリフォルニア州ビバリーヒルズで開かれた医学生涯教育の会合で新たに勃起学というものを提唱します。

これまで勃起不全、あるいは性的不能は秘めたる恥辱として世の男性を苦しめてきました。
さらにそれはD.H.ローレンス著『チャタレー婦人の恋人』のようにセックスパートナーである妻をも苦しめてきました。

正に救世主としてこうした世の男性から熱狂的に迎え入れられ、性革命を合言葉に世界初のエネルギーは性医学の再構築も迫ることになるのです。

男にとってハゲと勃起不全は一大問題です。これまでは治療薬の待望論が取りざたされても来ました。

一時話題をさらった中国の製薬会社が開発した発毛薬の章光101は、科学的知見に乏しく臨床薬としての認可にまでは至りませんでした。夢とついえた薬でもありますが、バイアグラは違います。

20世紀に医薬品として最も話題に上ったペニシリンや経口避妊薬の影を薄くするほど存在感が大きく、今でも夢の薬としての世界的な人気を誇るED治療薬といえるでしょう。

バイアグラの由来

インパクトのあるネーミングですが、毒物や麻薬、あるいはいかがわしい薬といったイメージを持たれた方も多いはずです。

そのネーミングの由来については諸説あります。インド北部アーグラに世界遺産となっているタージ・マハール廟がありますが、建立者のムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンは妃を300人も抱え、ものすごく絶倫だったという言い伝えから来ているという説。

また、精力を意味するvigor(ヴィガー)あるいはvital(いきいきと)と、アメリカの有名な滝Niagara(ナイアガラ)との合成語とする説。
これらを見る限り、いずれもED治療のイメージにつながっています。

「バイアグラ」がどのように形成されていったのか、根拠は不明です。

いわゆる商標名には問題とその解決策が想起させるものでなければならないとする理論があり、強大で、生気に満ち溢れたイメージを作り、それによって目の前の壁となって立ちはだかるEDを粉砕しようという暗示化を狙ったのではないかとする見る向きもあります。

バイアグラの成功要因はアメリカンフットボールの組織展開に着想を得た攻防一体型の組織改革が寄与したことが挙がりますが、広告戦略のセオリー通りでネーミングに負うところが大きいと見られます。

鋭く力強い勃起力を促進するバイアグラ

ファイザーは創業期、クエン酸メーカーの一化学企業でした。

柑橘類からの製造で、原材料供給の不安定さが課題となっていたため、解決に乗り出し砂糖からクエン酸を転換するシステムを開発し、この技術に賭けることにしました。

当時はホウ砂やホウ酸も生産し、十分採算がとれていたのですが、全面的に転換するというリスクを選択することになったのです。

バイアグラの場合はどうでしょう。
開発レガシーによりますと、当初狭心症薬の開発を進めていましたが、暗礁に乗り上げていたころ臨床担当者が勃起を惹き起こすという副作用に注目し、ED治療薬としての効果を発見しました。

販売やマーケティングの担当者を交えて議論した結果、「ED治療薬なんて存在しないが発想が面白い、ぜひやってみよう」という意見がでて、即開発の軌道修正をしたといいます。

ただ実際にはED治療薬の開発は既におこなわれており、それを差し置いての研究開発をはじめたものでしたので、リスクを伴うものでした。

バイアグラの効果はその後のヒットした事実を見れば明らかといえるでしょう。

参考文献

ファイザー社ホームページ

バイアグラ

関連ページ

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